贈る言葉
先日、東葛中の一期生が卒業式を終えました。
中学の振り返り記事はもう少し経ってから、書こうと思います。
内進生の入学を目前にして、高校の新2・3年生は何を感じているでしょうか。
もしかすると、新1年となる高入生よりも、在校生の方が、来たるべき変化に戸惑いを感じていらっしゃるかもしれません。
一期生は、部活での部分的な交流を除くと、高校の行事に混ぜて頂くことはあっても、新2・3年生と深く交流することがなかったからです。
高校生はそれを、中学教師のせいだと思っているかもしれませんが、そこには先生方が慎重にならざるを得ない理由があり、なによりも一年目で、精一杯だったのではないかと思うのです。
なにごとも最初から、気の利いた計らいができ成果を上げられるなんてこと、そうそうありません。新入社員に「一年目から確実に漏らさず結果出せ」って…いや待て、もうちょっと気長に見ようよ?となりませんか。
在校生だけでなく、OBの方々は、併設中によって高校の校風が壊されるのではないかと、心配されたのではないでしょうか。
そんな心配もあってか、よく聞こえてきたのが、東葛中生に対する「エリート」という言葉。
西にネットの掲示板あれば、学力と人格を否定され
東の先輩方には、管理されたエリートと揶揄される。
高校の先生には、授業のマクラでネタにされ
世間から勝手に期待され、こき下ろされる。
一期生という肩書を背負い
反発を自虐と笑いに変え
負けなかった。
きょうだいのように仲良く
(実際、助け合わないとできなかった)
学校を創ってきた80人を
私は誇りに思います。
仲間が好きだからこその、散らばる覚悟でしょう。
高校に行ったら、少し肩の荷を下ろし、
でも、自分のやりたい事は手放さず
他の誰でもない、自分のために
進む道を探していってください。
以下、2年前に私が書いた記事(似たような内容が増えたので消しました)を再掲したいと思います。
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東葛高校では、そもそも大学受験は個人のものと考えているように感じます。
その気質は、高校の歴史が書かれた「改革の炎はきえず」という本にも描かれています。
この学校は、自分で立ち上がることに価値があると、生徒も先生も考える風土があるのでしょう。
そんな東葛高校が、果たして大学入試改革に向けて、教師主導のもと、アクティブラーニングやプレゼンを据えたキラキラ授業を展開する、という状況になるでしょうか?
先生にもよりますが、全体がそうなるのは違うように思います。
このタイミングで高校に投入されるのが、東葛中生です。
学校側が躍起になって授業を変えなくても、教育改革で求められる要素を3年かけて学んだ中学生が、クラス40人のうち10人ほど配置されるのです。
生徒同士が関わり、もしも高校の授業が内側から変わるとしたら、中学で取り組んでいることが繋がる気がします。
入試改革の本格的な運用は、2024年度、つまり2006年度生まれからと予想されます。小学校ではすでに新しい授業に取り組み、活気ある展開を見せている所もあるのだとか。
一方、試験は変わるわ、ちょうど思春期に重なる2002~2005年度生まれは、いきなり「アウトプット」とか「答えが1つでない問題」とか言われても、わりと困ると思うんです。そんな場面に地味に強いのが、中入生かもしれません。
リーダーは必ずしも優秀な1人とは限らない。最初のフォロワーが “1人のバカ” をリーダーへと変えることもあるのだと、TEDのたった3分のプレゼンが伝えています。
東葛高校が、東葛なりに教育改革を料理するのに、東葛中というスパイスを使おうとしているのなら、私は面白いと思うのですが。
みなさんはどう捉えるのでしょう。
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記事中、高校生について偏った書き方をしましたが、90、91期生を含め中学生のために考え、発言してくださった先輩方がいらっしゃったことを補足させて頂きます。東葛中初の体育祭では、お手製の「ちらし寿司」を持って応援に駆けつけて下さった先輩もいらっしゃったとか。意地悪な書き方で括ってごめんなさい。